[バレットワークス専用エリア:オービタルベース内]
各共同体、オービタルが認めた解放旅団たちには専用のエリアが用意される。旅団の規模によっても違うが、他の傭兵たちの使用が許可された施設に比べて遥かに良い施設が揃っている。バレットワークスの専用エリアは機能を優先したためか、無機質な壁と通路は生活の臭いを感じない。
着替えはみな同じ場所で行うのだろう、更衣室というべき部屋の中には各人のロッカーが並んでいる。その中でインナースーツを脱ぎ、上半身裸となったクリムゾンが自身の腕を見つめている。細身ながら鋼のように鍛えられた肉体は武人のそれを思わせる。胸を斜めに切り裂いた傷跡と、左頬の傷。これほどの戦歴を持つ者にしては少ないと言えるが、この時代であれば傷を無かったことにするなどは造作も無い。残しているからには何かそれなりの訳があるのだろう。
その目は険しく、よく見れば顔は青白く、見つめる腕は震え、傷を伝いながら玉のような汗が床へと流れ落ちている。
「浮かない顔だな」
「准将……」
振り向いたクリムゾンの後ろに立つ初老の男。黒々と顎を覆う髭に禿頭、治療跡だろう側頭部にはメタルプレートが埋め込まれ、顔に刻まれた深い皺は彼が屋内よりも屋外で長く暮らしてきたことを物語っている。肩幅はクリムゾンよりも広く、肉体は壮年期のそれだ。体にはそれこそ数限りない無数の小さな傷跡こそ窺がえるが、目だった傷は無い。武人というよりも戦人といった風情だ。
准将。オーヴァルでその名を知らぬ傭兵はいない。いたらそいつは傭兵では無く、騙りであることは確実だ。壁の外で語られる彼の伝説のほとんどは大げさな尾ひれがついたものと言われているが、実際にはそのほとんどが真実。戦場の神、死神に嫌われた男など幾つもの二つ名を持つ伝説の兵士。
「悪いのか?」
「良くはないな」
准将の眉間に深い皺が刻まれる。巨大なイモータルを一蹴したほどの男が良くはないと言う。そして准将と呼ばれる男が眉をひそめるのは深刻な事態に違いない。
「今回の敵はそれ程だったか」
「いや、ディアブロだ。彼の攻撃を避けるのに使わざるを得なかった」
「そうか」
「だが、まだ届かん」
「届けば、お前が死ぬ」
「そうなるだろうな」
二人の口ぶりにはどこか悟りにも似た諦念が漂う。あの日、起きたことが二人、いや四人の運命を変えてしまった――。
■ ■ ■
――14年前。
「第一分隊、第四区画を掃討中。そっちはどうだ?」
アウタースーツに身を包んだ准将。その肩上にはブリッツと呼ばれるドローンの銃が浮き、周囲の敵を攻撃している。スーツ装着者の脳波に連動し、自動で攻撃を行う。腕には小銃を抱え、スーツにはナイフやポーチといった兵装が装着されている。
イモータルはどんなタイプであれ、ネットワークで繋がったものは自分たちと同化してしまう。家庭用の製品から何からが気づけば敵となる。その大きさの敵をアーセナルで攻撃すれば、全部を吹き飛ばしてしまう。余程敵が勢力を拡大し汚染されてしまえば、吹き飛ばすことに躊躇は無いが、そうで無ければアーセナルを降りての白兵戦で対処する。まして、居住区画をいきなり吹き飛ばすわけにはいかない。
「こちら第二分隊。第七区画を掃討中ですが、かなりまずい!」
「敵は?」
「分かりません、多すぎる!」
「防御に徹しろ! いいな! くそっ!」
通信が途切れ、耳にはノイズだけが残される。
「ここは任せる!」
「准将、今から行っても――」
瞬間、兵士の頬が張られる。
第七区画へと走る。
(間に合うとは思ってはいない。戦場に立ったからには戦わねばならない。戦えばいつかは死ぬ。だからこそ、一人でも生存させ、家族の元へ帰す。勝者などいない戦争という不条理の中で、それだけが私がやれること。勝利と呼べるものだ。)
身を隠しながら最大の速度で第七区画へ向かう。闇雲に走り、敵を引き連れていけば、それこそ生存者を助けるどころか、全滅を招きかねない。
「トレインとはよく言ったものだ」
ふと、部下がイモータルの大群を連れ逃げる仲間を見て、叫んでいたのを思い出す。後からゲームの中の用語だと教えてくれたが、妙に感心したのを覚えている。軍隊には無い言葉だが、もっとも的確に状態を表現している。一度遊んでみようかと思ったが、それっきりだ。
敵をやり過ごし、さらに前進する。次第に激しい銃声と、怒号が聞こえ、ブリッツの放つ閃光が見える距離へと近づく。だが、音と光が突如として止んだ。
「間に合わんかったか……」
瓦礫で埋まる道路を越え、ひた走る准将の目に飛び込んできたのは、部下の死体ではなく、無数のイモータルの残骸の上で、刀を手に仁王立ちする青年の姿だった。死傷者こそいるが、第二分隊は全滅していない。
「准将!」
駆け寄ってくる分隊に声をかけながら青年に近づく。イモータルを倒した際に浴びた駆動液が返り血のように、体を染め上げている。
「准将? この辺りで准将となれば思いつくのは一人だが。あなたが」
「私を知っているのか? いや、礼が先だな。部下の命を救ってくれた。ありがとう」
准将の差し出した手を青年が握る。
「ところで、君は?」
「私はクリムゾン。コールサイン、クリムゾン」
「君がそうか! 噂は聞いている。一個大隊に匹敵するイモータルを一人で倒したそうだな。その姿を見れば、噂が真実だと分かるな」
「そういうあなたこそ。お噂、いや戦功は嫌でも耳に入ります」
「どうして、ここに? スーツは?」
「たまたま、というより休暇中でしてね。そこにいきなり、奴らが」
「それは災難だったな」
苦笑する二人に、つられて第二小隊の面子も声を上げて笑う。
「准将!」
「どうした?」
「撤退命令です」
「何!?」
「下水路を奴らに占領され、各区域への汚染を止めることは出来ないとの判断です。共同体はここを放棄するとのことです」
「放棄だと? 地上は陽動か」
「はい。なお、一時間後に空爆を開始するため、速やかに撤退ポイントへ後退、とのことです」
「バカな!? まだ市民は避難していないんだぞ!」
クリムゾンの叫びが終わるか終わらないかのうちに、ドーンという爆発のような大音響と同時に、ビル群から吐き出されるようにイモータルの群れが出現する。緊急時にビルを覆う防壁は外からの攻撃には強いが、中からの攻撃を防ぐことは想定外だ。下水路を通り、建築物内に侵入したそれが、中から防壁を破壊し溢れ出しているのだ。
「まずい!」
凄まじい速度で走り始めたクリムゾンの後を准将が追う。
「お前たちは撤退を開始しろ!」
「准将は!?」
「お前たちの命の恩人を助けるのに理由がいるか?」
「ならば我々も!」
「馬鹿者! 一人でも多くの市民を救え!」
逡巡していた兵士たちが准将の一喝に、背を伸ばし頷き合う。無言で隊伍を組み撤退を開始する。
「死ぬなよ!」
「ご武運を!」
クリムゾンに襲い掛かる虫共は、分かっていなかった。彼らのことなど見ることもなく、無造作に振られた刀が真っ二つにしていく。クリムゾンの周囲に張り巡らされた目に見えない防衛網。それは、アウターとしての彼の能力であり、周囲にある物を無意識下に感知、神速の反射でもって撃滅、回避を行う。攻撃と防衛が表裏一体となった絶対防衛圏を築き上げるのだ。彼への脅威が大きければ大きいほど、迫れば迫るほどに鋭さを増し、超振動を利用した刀が絶対的な死を周囲にもたらす。
「凄まじいものだな」
周囲の敵を蹴散らしながら、難なく進む准将も化け物には違いなかった。イモータルとしての活動部位、血管のように発光する箇所が集まる中心部を正確に撃ちぬいていく。
「そんなまさか!?」
クリムゾンが一つの高層建築物の前に立ち尽くす。建物は既に数多くのイモータルが群がり、別の何か、巣へと作り変えようとしていた。幾つかの場所からは黒煙が上がっている。この高さではほとんどの住人は逃げ出すことは不可能だったに違いない。
「何故ここに?」
振り向くクリムゾンの顔は青白く、生気を失っている。
「マイアがあの中にいるんだ、弟と一緒に」
「家族か?」
「婚約者です」
「急ぐぞ」
「良いのですか?」
「もちろんだ 援護する」
准将に頷き、深い息を一つ吐く。手の中には刀の、いつもの確かな手応えがそこにある。
「参る」
クリムゾンの突入と同時に、准将のブリッツと小銃が火を吹く。竜巻のように迫る敵を薙ぎ払い、撃ち落としながら建物へと侵入する。
「こっちです」
扉の前で止まり、息を合わせる。クリムゾンが扉を開き、准将が突入する。即座に銃声が轟き、非常階段に溢れた敵を撃墜、アウターならではの強化された肉体が生み出す跳躍力で一気に上階へと進んでいく。階段内の送電は止められ暗闇ではあるが、エレベーターを使い、それがイモータルに汚染されていれば、死を待つしかない。幾多の戦闘で信じられるのは自分の肉体の力だけだと、経験している。
「どこだ!?」
「三十二階に――チィ!」
撃滅したはずの下の階から既に新手の敵が迫って来ている。暗闇の中、銃口が火を放つ度に輝く閃光、剣跡の閃きに二人の姿が明滅し浮かび上がる。イモータルの駆動液が体を覆い、二人の姿は闇と同化し始めている。
息の音、銃声、敵を断ち切る鋼の音。実際には短い時間ではあったが、雲霞のごとき敵との攻防は無限地獄にも思えた。その隙間から、三十二Fの表示が見えた。
「開けるぞ!」
准将が扉を開き、クリムゾンが飛び込む。
「クリア!」
クリムゾンに続き、准将が飛び込む。溢れ出ようとするイモータルを撃退し、扉を閉める。即座にブリッツで溶接をしていく。その時、階下で爆発音が連鎖する。
「何、もう少し掃除しておこうと思ってな」
准将の腰にあったはずのハンドグレネードが幾つか無くなっていた。階段から飛び込む前に、投げ込んできたに違いない。
「やりますね」
我知らず笑顔になる二人。戦場を生き抜く者だけに通じる機微だ。三十二階の廊下は階段とは違い、敵がいない。それが返って不気味さを漂わせている。准将のハンドサインに頷き、クリムゾンが進んでいく。力強い足取りは次第に速くなり、明らかな焦りを感じる。そして止まり、扉を開いた。
――二人はこの日を忘れない。
扉の先は空だった。正確には部屋は半分以上削り取られ、残った床には小さな虫たち、イモータルの山があった。その中から子供の泣き声が聞こえる。
駆け寄り、虫を払い除ける。中からは女性と、女性に抱えられた少年が現れる。女性の機械で出来た目や脊椎と手足、それらがイモータルに食いちぎられ、無残な姿となり果てていた。
そこからは、二人に記憶はあるが感情は空っぽだった。泣き叫ぶ少年を准将が抱え、女性をクリムゾンが抱きかかえる。食事の邪魔をされた虫たちが、クリムゾンを獲物を奪う敵と認識し、攻撃を開始する。切り刻まれるのにも構わず、女性の名「マイア」と叫び続ける。准将には聞こえなかったが、死の中で女性が何かを彼に囁く。准将の視線の端に一枚の写真があった。車椅子に座る女性と、その横に立つクリムゾンと少年。
部屋に入ってから音はあったはずだ。だが覚えているのは次第に轟き、地鳴りのように放たれたクリムゾンの悲嘆の叫び。
いつ果てるとも分からない叫びと泣き声を爆音がかき消す。壊れた部屋の向こう、空に輸送用ヘリコプター<シムルグ>が姿を現す。二人を回収するために部下たちが来たのだ。女性の遺骸から離れないクリムゾンから虫どもを引きはがし、胸から流れ出る自身の血に染まった彼を引きずり、ヘリに乗り込む。
いつもなら、命令を無視した部下を叱り飛ばすところだが、抱きかかえた子供と遺骸を抱え、悄然とうなだれるクリムゾンを前にいつもの自分でいることは出来なかった。兵士たちも自分たちを助けてくれた男の姿から目を背け、祈る者、装備を触り心を落ち着かせようとする者、みな悲しみに沈んでいた。
開始された空爆が、街を、何もかもを吹き飛ばしていく。
「戻ってくるって言った……」
空爆の轟音の中、微かに聞こえた呟きは、三人の宿命の始まりだった。この戦闘作戦の後、クリムゾンは准将率いるバレットワークスへと入隊する。そして数年後、姉の仇を、全ての仇と定めた相手を倒すために少年は入隊する。後年、少年は数多くの戦績を上げ、ディアブロのコールサインで呼ばれることとなる。