Star Reclaimer

デモンエクスマキナ 星の解放者

第2章−6

[自室:オービタルベース内]
「これでいいはずだよな?」
「はい、種別はタイプC+の範疇であれば」
「ってことは、それを超えれば?」
「責任は持てません。日々、彼らも進化をしますし種別はタイプB以上となると、個体毎に自己改造を行っていることも珍しくありません」
「参ったな。人間と同じってことか」
「人間と同じ?」
「個性があるってこと」
「人間と同じかどうかは分かりませんが、個性という意味では近しいですね」
「近しいねぇ……それはそうと他の傭兵たちの個性を事前に知る方法は無いかな?」
「個性、プロフィールですか?」
「なんでもいい。出来ればキルスコアから見られるようなものじゃなくて、もう少し生の、何て言えばいいかな――」
「“生活”が分かるものということでしょうか?」
「見てみたい気もするが、それって覗きだよな。もうちょっとこう何て言うんだ……」
「“生き方”が分かるもの」
「そう、それでいい! あるかな?」
「そういう事であれば、さしあたって、先日の鋼鉄の騎士お二人の記録などどうですか?」
「いいね。昨日の友は明日の敵かも知れないからな」
「それでは、再生します」
 部屋を暗くし、HDIの画面サイズを壁への投射設定に変更。体を椅子へ投げ出す。ちょっとした映画気分だ。部屋を暗くし、再生される映像に集中する。

    

*  *  *


[報告書:オービタル第17区画 特殊難民児童教育機関での器物損壊について]
 ※ルイス・E・トモイのライブレコード
 ※以下、報告内容

 一発、そして間髪入れずに二発目。
 所長の顔面にゾアのワンツーパンチが叩き込まれた。
「一発はあの子の分、もう一発は他の誰かの分だ」
 殴られた男は顔を抑えてふらふらと後ずさりしながら喚き散らす。
「きっ、貴様、アウターが一般人に暴力を振るうなど、あり得んことだ! 貴様のような化け物など、すぐに裁判にかけて処分してやる!」
 ヒステリックな抗議にデヴァがやっちまったな、という表情で殴られた男を見ている。デヴァの顔を見て、不安を募らせたのだろう、目でゾアをぎょっと睨み、顔をこわばらせる。ゾアが握り締めた自分の拳を見つめながらぼそりと言った。
「まだ殴られる元気があるようだね」
 横に立っている小柄な青年が叫ぶ。
「ゾアさん、僕の分もお願いします!」
 そう叫ぶのと同時に、ゾアの右ストレートが男を体ごと壁までぶっ飛ばした。

    

*  *  *


 今日起きたことを順序だてて整理しておこうと思う。
 それはいつもと何の変りもない水曜の午後のことだった。
「あの、鋼鉄の騎士の方、ですか?」
 待ち合いスペースで立ち尽くしているその人に、僕はおずおずとそう声を掛けた。
 思わず腰が引けてしまったのは、その人が何だか近寄りがたい雰囲気を放っていたから。
「そうだ。君は?」
 その人は振り向くと、顔を近づけて値踏みするように僕を見つめる。
「えっと、僕はオービタルの職員で……あ、まだ実習生なんですけど、とにかく今日、この施設の案内を担当するルイス・トモエと言います。どうぞよろしく」
「鋼鉄の騎士のゾアだ。よろしくな」
 そう言ってゾアさんは右手を出しかけて、ジャケットの裾でごしごしと擦ってから僕の手を握った。握手を交わした時、かすかに鉄と硝煙の匂いを感じたのは気のせいだろうか。
 ゾアさんは自分の姿を見回して、不安げに僕に訊いた。
「緊張してるのか? そんなに怖い見た目をしてるかな?」
 僕は慌てて首を振って応える。
「そ、そんなことないですよ。ただ解放旅団の方に遭うのは初めてで、それだけです」
「そうか? なら、いいんだけど」
 革のジャケットに同じく何の変哲も無いパンツ。黒のシャツという出で立ちは身長を除けば、どこにでもいる自分と変わらない青年に見える。ただその内側に強烈なエネルギーを秘めている感じがする。
「お一人ですか?」
「ああ。兄貴なら少し遅れてる。野暮用だそうだ」
「それは困ったな……もう少し待てば来るなんてことは――」
「無いだろうね」
「しょうがないですね……あっ、そうだ。案内する前に良ければサインをお願いできませんか? 知人に頼まれちゃったんです」
「サインだって? 申し訳ないが、たぶんそれは僕じゃない。その知り合いってのが欲しかったのは、きっと兄貴のサインだ」
「そうなんですか?」
「兄貴は本物のヒーローだからな。僕だってそうありたいが、とてもじゃないが及ばない。世間じゃ鋼鉄の騎士の地味な方ってのが僕のもっぱらの評判だ。ま、それでもいいなら」
 ゾアさんは僕が持っていたファイルを取り上げると、書類の裏にサラサラとサインを書きつけた。てっきり断られるものだとばかり思っていたのに。
「ほら。地味な方のサインでも、ないよりはマシだろ」
「ありがとうございます!」
「礼を言われるほどでもないさ。そのサインのせいで請求書の山が送りつけられるってのなら別だけどね」
「まさか、そんなことありませんってば」
「冗談だよ。君――ルイスがそんなことをするだなんて思ってないし、そんな請求書が来たところで払うつもりも無いしね。さあ、そろそろ施設に案内してくれ」
「あっ、すみませんでした。こちらへどうぞ」
 真っ白な廊下を歩きながら、彼が見学を希望した施設へ到着するまでの間、僕は施設の沿革や目的を話す。これは案内役の仕事として決まっていることだ。
「救助された難民の内、既にアウターとしての能力を顕している子や、これからそうなるであろう子供たちを教育する機関として三ヵ月前に開所したばかりなんです」
「そういうセールストークはいい。僕は自分が見たものだけを信じるし、それで判断するだけだ」
 そう言われては返す言葉もなくなってしまって、僕らは無言で真っ白な廊下を歩いた。
 入り口では所長のゴード氏が僕らを待ち受けていた。
「ようこそ。しかし解放旅団の方が教育施設を見学とは、またどういった風の吹き回しかな?」
「オービタルってのは、僕たち解放旅団がイモータルと戦って分捕ってきたフェムト資源を売りさばくことで成り立ってるんだろう? その金を無駄遣いされたんじゃ、こっちは堪らないからな。つまるところ内務調査さ」  

 

 ゾアさんの物言いに、所長はあからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。
「どうやら認識の齟齬があるようだ。我々オービタルは世界平和の理念のもとに、フェムト資源を各共同体に公平に分配して――」
 滔々と言いかけた所長の鼻を、ゾアさんが人差し指でぱちんと弾いた。
「なっ、なにをするのかね!」
「パンフレットに書いてあるような説明はたくさんだ。それより子供たちの様子を見たい」
 所長は鼻を抑えて、わなわなと震えながら言った。
「――トモエくん、彼を案内してやれ」
「分かりました。じゃあゾアさん、こちらへ」
 今の時間は、子供たちは学習室で勉強している。
 その教室へ向かいながら、僕は興味本位でゾアさんに訊いてみた。
「あの、どうしてあんなことを」
「どう見たって、いけ好かないおっさんだろ」
「え? 確かに所長は気難しい人ですけど、別にキモイってわけでも」
「ハハハ。言うじゃないか」
「いや、これは――」
 ゾアさんの言ったことに釣られてつい本音が、と言う前に僕らは教室に着いた。
 教室の小さい窓から、ゾアさんがじっと見つめている。さっきのような怖い顔じゃなくて、まるで自分の弟や妹を見るような、そんな優しい表情で。
 しばらくする内に一人の子が気付いて、次第に教室がざわざわし出した。ゾアさんは子供たちに向かって授業に集中しろと黒板の方を指さして見せたけど、それを見た子供たちはわっと声を上げると、席を立って窓の下に群がり始めてしまった。
「鋼鉄の騎士のゾアだ!」
「本物!?」
 すぐに授業どころではなくなってしまって、仕方がないので教室へ入り、勉強の代わりにヒーローのお話を聞く時間となってしまった。
「授業の邪魔をする気はなかったんだけどな」
 ゾアさんは申し訳なさそうにして、でも子供たちと直接話せるのが嬉しそうだった。
 子供たちの喜びようと言えばそれ以上で、これほどはしゃぐ彼らを始めて見たくらいだ。
 解放旅団の活躍はオービタルの広報として、エンターテインメントとして外に発信されている。
 それを見ている子供たちにとって、ゾアさんは本当のヒーローそのものだ。ゾアさんは子供たちの他愛のない質問に次々と答えていく。ただ、ある質問をされた時だけ、ほんの少しだけ表情をこわばらせた。
「あの、大きくなったら解放旅団になりたいです。どうしたらなれますか?」
 それまで笑顔だったゾアさんが、どうしたものかと黙り込んでしまった。
「ぼくもアーセナルでイモータルをやっつけたい!」
「イモータルは悪いAIなんでしょ?」
 ゾアさんはガリガリと頭を掻いて、大きく笑ってからこう答えた。
「僕と兄貴が、イモータルなんて全部やっつけちまうから、みんなの出番は無しだ」
「えー!」
「他の旅団の連中だってすごいんだぞ。バレットワークスの准将は百戦錬磨だし、5HELL――じゃない、SHELLのセイヴィアーだっていけ好かないが気合いの入った奴だ。みんな必死で戦ってる。君たちが大人になる頃には解放旅団なんて仕事はなくなってるはずだ」
 そう答えて、これ以上邪魔しちゃ悪いとゾアさんは席を立った。
 他の施設も見学したいとのことで、惜しむ子供たちを後に教室を出ることにした。
「イモータルは全て自分がやっつける、ですか。カッコいい答えですね」
「まあ、ウソだけどな」
「え?」
 僕は立ち止まってゾアさんの顔を見上げた。
「できればそうなってほしいと思ってる。けど、イモータルがどれくらいいるのか、どうすれば勝利なのかすら分かってはいない」
「それはそうかも知れませんけど」
「それに傭兵なんてものは、明日をも知れない命だ。イモータルはもちろん、時には傭兵同士で戦うこともある。ま、真っ当な奴のやる仕事じゃない」
「じゃあゾアさんはどうして傭兵をやってるんですか?」
 そう訊かれたゾアさんは立ち尽くして、それから深いため息をついた。
「ルイス、お前は世の中のことを何にも知らない、甘いお坊ちゃんだな。いいだろう一つ、現実ってやつを見せてやる。見る勇気はあるか?」
 もちろん、僕は頷いた。
 ゾアさんはシャツの襟を引っ張って、そこに埋め込まれている冷たい金属製のリングを見せながら言った。
「アーセナルってのはな、神経接続を通じて自分が強くなったような錯覚を覚えるんだ。電磁波も赤外線も、搭載されたセンサーが捉えられる物は何でも見えるようになるし、自分の体からレーザーでもミサイルでも撃ち放題だ。イモータルを握り潰せば、その感覚が手に取るように伝わってくる」
 鬼気迫る様子で語るゾアさんの表情に、僕はごくりと唾を飲む。
「その内、その感覚がクセになる。アーセナルを着ている時の方が本当の自分なんじゃないかって思うようになる。で、アーセナルで何をする? 破壊と殺戮だ。あれはただの兵器だからな。いつか生きるか死ぬかって状況じゃなきゃ、生きてる実感が得られないようになっちまう。そんなものを子供に勧められるか? 僕にはできない」
 そう語るゾアさんから、まるで何かの衝動を抑えているような、危うさを感じる。きっと彼の言うことは本当なんだろうって思えた。
 ゾアさんは服の襟を直しながら、さらに続ける。
「だからお前は、子供たちに傭兵が正義のために戦う素晴らしい職業だなんて、決して教えるな。こんな呪いを受けるのは僕たちだけでいい」
「分かりました。話してくれてありがとう」
 僕が再び頷くのを見て、ゾアさんが笑う。
「なあに、言った通り、あいつらがでかくなる前にイモータルなんて全滅させてやるさ。そうしたらフェムト資源の取り合いで共同体同士が争うこともない。だろ?」
「ですね」
 本当にその日が来ればいい。ゾアさんが言うと、実現できる気がしてくる。
「大分、時間を使ってしまったな」
「いえ、大丈夫です」  

 それから施設の色々な場所を案内した。行く先々でゾアさんは色々な質問をしたし、僕もそれにきちんと答えた。時折怖い目をするが、優しい、真面目な人なんだと思う。
 次の見学の場所へ向かう途中、再び所長がやってきた。
「ミスター・ゾア。済まないが視察はこれまでにしてもらう」
「予定の終わりの時間まで、もう少しあるだろう?」
「こちらも色々と忙しいのだよ。お引き取り願いたい」
 僕とゾアさんは顔を見合わせた。
 視察の時間の切り上げだなんて、そんな話は聞いていない。僕が首を傾げるのを見ると、ゾアさんは所長へと向き直った。
「ゴード所長、最後に一つ聞いていいかな」
「なんだね? それを聞いたら帰るのか?」
「資料じゃ70人の子供を収容してると書いてあった。でも今日会った子供は少し少ないよな? オレの記憶が正しければ64人だ。残りの子供は?」
 よく覚えているものだと感心する僕をよそに、所長が言葉を詰まらせる。
「う、む……容体の悪い子供がおってだな、今はここではない別の病院施設に……」
 その言葉を聞いて、ゾアさんが片方の眉を上げた。
「あんたが姿を現すちょっと前から、子供の泣き声が聞こえるんだ」
「子供の泣き声? なにをバカな。そんなものが聞こえるはずがなかろう」
 ゾアさんは人差し指でとんとんと頭を叩きながら、周囲をぐるりと見回す。
「いや、聞こえる。泣いてる子供を放っておいたままじゃ、帰れないな」
「言いがかりをつけるのはやめて欲しい。さあ、お引き取り願おう」
 所長がだんだんと激昂していくのがはっきりと分かる。このままじゃ警備員を呼びかねない。僕はまずいですよとばかりにゾアさんの袖を引いた。でもゾアさんは引き下がらなかった。
「いいや、帰らない。この泣き声がやむまでは」
「処置室は何重もの防音壁に囲まれているんだ! 泣き声なんぞ聴こえるわけが……」
「聞いたか? ルイス」
「所長、処置室って何ですか? 子供の泣き声って」
 唸るばかりで黙りこくる所長の代わりに、ゾアさんが教えてくれた。
「僕と兄貴は、どれだけ距離が離れていてもお互いの気持ちが分かる。その気になれば、はっきりと分かる。今、兄貴は相当、怒ってるぜ。行くぞルイス!」
「は、はいっ!」
 ゾアさんが廊下を駆け始める。僕も慌ててそれを追った。処置室ってなんだ? そんな施設の話は知らされていない。子供が泣いてるって、どうして? 
 ゾアさんを慌てて追いかける僕を、そのあとから所長がどたどたと追いかけてくる。ゾアさんが向かう通路はそこで行き止まりになっていて、ほどなくして所長に追いつかれてしまった。
 この先はまだ何もない区画のはずで、扉は固く閉鎖されている。
「今すぐ警備をここに呼べ! いくら解放旅団と言えど、そこは通れんぞ!」
「どうかな?」
「な、何!?」
 ゾアさんは胸からIDカードを取り出すと、閉鎖された扉のロックにかざした。扉が音もなく開く。
「ど、どこでそれを!?」
「自分の胸に聞いてみるんだな」
 慌てて服をまさぐる所長を後目に開いた壁の先、通路へとゾアさんが進んでいく。そこは明るく、両側にはガラス張りの部屋がいくつも並んでいた。それと、死んでいるのか、気絶しているのか、警備員たちが倒れている。  

 

「これは……?」
 ガラスの向こうには、白いベッドに縛り付けられ、体中にいくつもの管を繋がれた子供たちが横たわっていた。なんだ、これは? こんな区画があるなんて聞いてない。
「あそこだな」
 迷いのない足取りでゾアさんが向かった一角で、僕は衝撃的な光景を見たんだ。
 部屋の中央で苦悶の表情を浮かべながら、一人の子供が青年に抱かれている。暴れたのだろう、医療機器は引き倒され、ベッドが横倒しになっている。その横で看護師たちが、体を強張らせている。
 ゾアさんが言った。
「アウター症の発作だ」
 知識では知っていたけれど、見るのは初めてだった。
 アウター症というのは、アウターとして生まれ無かった人類、特に幼少期に引き起こす症状で、途中からアウターとしての能力を発現することで引き起こされる。体内の細胞がフェムト粒子へ適合しようと変化し、発症すると言われている。軽い変化、症状であれば、発作でエネルギーを使い果たし症状が収まるが、重い変化であれば体がついていけず死んでしまう。アウター症についてはまだ未解明なことが多い。しかもアウターとして発現する能力は千差万別、全ての症状に合う処置方法が無い。
 子供を抱きかかえ、青年が部屋を出てくる。子供をゾアさんが引き受ける。言うまでも無いだろう。鋼鉄の騎士、ゾアさんの兄であるデヴァさんだ。怒ってることは自分のような戦いと無縁の人間でも、見ただけでわかる。
「これを隠そうとしていたな?」
 所長は顔を真っ赤にしながら喚き散らしている。
「くそっ! 早く鎮静ガスを流し込め!」
「させるかよ」
 いつ抜いたのか、デヴァさんの右手には銃が握られていた。ほとんど一発の銃声にしか聞こえなかったが、ガスの注入口はすべて破壊されていた。破壊された注入口から漏れ出した熱気が頬を撫でる。
 ゾアさんの腕の中で発作を起こした子供の、獣のような唸り声が廊下に響いた。
「貴様、なんてことを! い、いや貴様らもアウターだったな? どうにかしろ! 命令だ!」
「言われなくたってどうにかするさ」
「この際だ、殺しても責任は問わん! そいつが逃げ出したら大変なことになる!」
 殺すなんて、と叫ぶことはできなかった。
 抱きかかえられ、暴れるその子が、ゾアさんの腹に体当たりをした。後ろの壁にゾアさんが激突する。子供は反動を利用して、飛び跳ねるように反対方向へ跳んでいる。
「傷つけるなよ」
「分かってる。今のはなかなか利いた」
 子供に向かって笑顔を浮かべるゾアさんだったが、目は真剣だ。激突した壁が、大きくへこんでいた。
「近寄るなよ。ケガするぞ」
 アウターと言うのは子供でさえこれほどの力を持つものなのか。
 ゾアさんが大きく両手を広げて、子供に一歩近づく。振りかぶった拳が勢いよくゾアさんの胸にめり込んで、骨のきしむ嫌な音が聞こえた。でも、ゾアさんは暴れるその子を力強く抱きしめた。
「ガアアァ!!」
 恐怖に怯えて我を失った子供は、それでも暴れるのを止めなかった。
 その時気付いたんだ。
 怒り狂って暴れてるんじゃない、怖いんだ。
「怖かったな。もう大丈夫だ」
「ウオオォ! オオオオ!!」
 抱き締められた子供はゾアさんを殴り、蹴り、噛みつきさえもした。けれどゾアさんは決して子供を離さなかった。
 部屋の中に、ただひたすらに肉を叩く音が響き続け、どのくらいの時間が経っただろう。いつしか暴れていた子はゾアさんの腕の中でぐったりと力を失っていた。
「子供は、ただ抱き締めてやればいい。だろ?」
「そうだな」
 子供を抱いたゾアさんとデヴァさんを、僕も所長も、いつの間にか駆け付けた警備員たちも黙って見ていることしかできなかった。
「この子を柔らかいベッドで寝かしてやってくれ。しばらくは発作も起きないだろう」
 騒ぎを見守っていた看護師がゾアさんから子供を受け取って、早足で去っていく。
 押し詰まった空気の中で、最初に口を開いたのは所長だった。
「よくやってくれた! やはり化物退治には化け物だな!」
 所長の発言に、誰もがはっと息を飲んだ。

 そうして、最初のそれが起きた。      

    

*  *  *


 オービタルからの聴取はすぐに済んだ。所長が、誰かと手を組み違法なことをしていたのは確かだった。施設の何人かはおそらく所長とグルだろう。
「オーダー完了だな」
「オーダーだったんですか?」
「正確には、自発的オーダー。オービタルから見れば違法かもな」
「違法だろうと、やるべきことは誰かがやらなくちゃな。だろ? さあ帰って、ビールでも飲むとしようぜ」
「今日は兄貴のおごりだぜ。囮なんて損な役目を引き受けてやったんだからな」
「しょうがない。あの子に免じて今日は俺のおごりだ」
「あの子に免じて、ね。ルイス、面倒くさいことに巻き込んじまったな。けど、これが現実だ。壁の外じゃアウターを化物だと思ってるクソどもがはびこってる。まあ、それも分からないじゃない。僕たちアウターは、普通の人間が恐れる力を持っている」
「でも、それは望んでそうなったわけじゃありません」
 僕がそう言うと、ゾアさんは意外そうな表情を浮かべた。
「てっきりアウターのことが怖くなって、逃げ出すと思ったんだが」
「まさか。僕はここに残って子供たちのために何ができるか考えます」
 そう、ゾアさんが言った通り、僕は何も知らない甘々のどうしようもないお坊ちゃんだった。でも甘々のお坊ちゃんなりに世界を知って、どうにか変えていきたいと思う。
「無理はするなよ。困ったらいつでも僕たちを呼べ」
「困ったら、だぞ」
 そう言い残してゾアさんとデヴァさんは去っていった。その背中は、まさにヒーローの背中だった。  

 

 事の顛末は以上だ。
 この件について、後々ゾアさんたちが不利になるようなことがないように、報告書として公開データベースに登録する。
 ライブレコードに僕の所感を加えただけだから、十分な証拠になるだろう。



※報告書、ここまで。
※レコードをデータベースへ登録
※レコードをロック



 追記:
 ゾアさんにもらったサインは、知人に渡さなかった。小さな額に入れて、今も僕のデスクに飾ってある。これくらいは許されるだろう。

      

*  *  *


[自室:オービタルベース内]
「――二人のことはよく分かったけど、これって規約違反だよな?」
「そうですね」
「そうですねって、規約違反なら二人は何等かのペナルティはあったんだろ?」
「はい。記録によれば、罰金刑です」
「それだけ?」
「不服ですか?」
「いや、不服っていうか驚いてる」
「彼らのやったことは確かに規約違反でしたが、壁の内外、アウターと非アウターを問わず支持を得た結果、オービタルとしても軽い量刑が妥当と判断しました」
 気のせいか? フォーの声に優しさを感じる。
「嬉しいのか?」
「何がですか?」
「軽い量刑だったこと……?」
「オービタルにとって有力な傭兵を失わずに済んだことは、喜ばしいことだと思います」
 いつものフォーだ。気のせいか。
「それはそうだな。ところで、前回のオーダーで<専用の装備>ってあっただろ?」
「ロック機能の補助装置ですね」
「それだ。それはどこで買える?」
「HDIから接続してショップで買うことが可能ですが、現在の所持金では機体修理費を考えるとお奨めはしません」
「安く買えたりはないのか?」
「ウォールシティのバザー、“ジャンクロード”へ行けば、安い物が手に入るとは思いますが、性能の保証はありません。ただ――」
「ただ?」
「稀に正規のショップに並ばない装備なども売られていることがあるようです。そのため、好んで行く人たちもいます」
「いいね! そういう情報は早く言って欲しかったな」
「申し訳ありません。聞かれなかったのでお伝えしていませんでした。一応お伝えしておくと、“傭兵契約者が知るべきオーヴァル”一般にはオーヴァルガイドブックとして知られる、この本の七十八ページに、ジャンクロードのことが書いてあります」
「ああもう、分かった。で、ジャンクロードの場所は?」
 HDI上に、ウォールシティの地図が表示される。
「久々に、羽を伸ばすとするか」


――――つづく

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