[ウォールシティ:街路]
街。街と呼べればだが、ここは活気に溢れている。自分と同じような傭兵もいれば、傭兵目当てに商売をする者、壁の建設からそのまま住み着いてしまった者たち、逃げ遅れ、やはりそのまま居ついてしまった者たち、壁の外からの逃亡者。それぞれが、ぞれぞれの事情を抱えてここにいる。共同体が壁の中に作った街とは違い、横倒しになった集合建築物をそのまま使った家や、イモータルの外装をそのまま家にしてしまった物、テントやバラック、様々な様式が入り乱れ、混沌としている。
ここはいい。人の臭いがする。時折、喧噪に激しい音が加わる。アウター同士の喧嘩だろう。優れた身体能力を持った者同士がぶつかり合う様は、最初は面白いが、大体なにかとばっちりを受けることになる。三メートルも跳躍し、殴れば壁や地面に穴を開けてしまうような奴らが喧嘩をすれば、周りはたまったものじゃない。
近づいて来る破壊音にアウターの勘が、いやアウターではなくても分かる。ヤバい! 小さな体が俺の肩を踏み台に跳躍する。その後を、破壊音の原因は……こいつだ!
「ウォォオーッ! asldl;,xok,emskj)(0%&‘js!」
突進してくる巨体を間一髪で避けられない! 避けたつもりが、相手の体躯の巨大さ、通常の人間の四倍はあろうかという肩幅に目測を誤り、弾き飛ばされる。
「ちょっと落ち着いてよ、おじさん!」
「グガガガガ! オレはおじさんじゃねえ! ガルガンチュア様だ! それを寄越せ!」
「嫌だよ~だ。これはチルが見つけたから、チルの物なの! おじさん、バッカじゃないの?」
「おじさんって呼ぶんじゃねえ!! オレ様はまだ二十四だぞ!」
「うわ 余計にひどい」
「このガキ、ブッ殺す! ウガァァァアア!」
「助けてぇえええええ」
巻き込まれたくは無かったが、チルと自分のことを呼んだ女の子が立ち上がろうとしていた俺を盾に、巨漢と周りをぐるぐると回り始める。
「このガキ、ちょこまかと――おい! おめぇはなんなんだ!」
なんなんだ、と言われても困るのだが――目の前に迫る巨漢、二十四と言っていたが、とてもそうは見えない。かなり怖い。剃り上げた禿頭に剛毛の顎鬚。二メートル超えるだろう長身に、アウターの中でも群を抜いての異様なほどの筋肉からなる巨体。体に合う服が無いのか、緑のタンクトップにカーゴパンツという出で立ちだ。(体を鍛えている奴らに見る、この既視感。おめぇらはなんなんだ、と俺が言いたい。鍛えた体を見せたいという欲求と、サイズのあった服が無いという理由からなのだろうが……何故、どいつもこいつもタンクトップなんだ!)目を覆うバイザーはバイザーでは無く、人体改造だろう。何が仕込まれているかは分からないが、注意するに越したことはない。
対して、俺の後ろに隠れている少女はかなり小柄で、ガキと呼ばれてもしょうがない年齢だ。浅黒い肌に、ぼさぼさとライオンか何かのつもりなのだろうか? なんとも形容のし難い髪型に、メガネ、ポシェット、シャツ、動きやすそうなパンツ、スニーカー。髪型とその運動能力を除けば、どこにでもいるような女の子だ。
「なんだと言われても、俺は関係ないだろ?」
「関係ねぇなら、なんで邪魔しやがる!」
ダメだ、まったく話が通じないうえに、後ろの少女はクスクスと笑ってやがる。この状況なら、オーダーに赴く方が何倍も気が楽だ。こういう手合いたちには、冷静に対応するしかない。
「いや、そもそも何で喧嘩してるんだ、です?」
「それをオ、オレが見つけたのに、そいつが横から取りやがったんだ!」
確かに、少女が何か不思議な物体を手に持っている。
「そうなの?」
「それは見方によるよ! 見たのはおじさんのが早かったかもだけど、チルのが手にとるのが早かったし、お金だってちゃんと払ったんだから、わたしの物でしょ? ”手に入れる”ってそういうことだと思うんだけど? 見ただけで、その人の物になるなら世の中の物は全部そうってことでしょ」
「うるd*P`kk!」
うわ、これはダメだ。脳筋VS理屈。絶対に理解し合えないやつだ。
「で、それはなんなの?」
「本だ」
「本? 本って……それ紙か!?」
なら、二人が争っているのも分かる。全てがデータで保管されたこの時代に紙なんて、興味の無い俺にとっては、まさしく紙屑(死語)。だが、好事家たちにとっては、聖遺物だ。
「それを好き者どものところに持っていきゃあ、何倍もの金になる」
だろうな。アウターであることを除いても、堅気じゃない雰囲気の男だと思っていたが、商売ってわけだ。
「君もそうなの?」
「違うよ! お兄ちゃんたちに見せたかったんだよ!」
少女が見せてきた表紙には”スターヒーローズ”と書かれた題字に、ピカピカした銀色の服に身を包んだ五人のキャラクターが描かれている。
「そんなこと、オレの知ったことか!」
「イ~だ!」
異様な風体の男に、少女、挟まれた俺に大声。見物人も集まって来ている。そろそろ、なんとかしないと、ヤバい。今思いつく選択肢は五つ。
一:戦う
二:お金で解決
三:逃げる
四:本を奪う
五:警察を呼ぶ
一は明らかに分が悪い。やってみなくちゃ分からないが、素手で勝てる相手とは思えない。
二は、幾らかが分からないが、聞いてみる価値はある。俺が払う理由は無いが少なくとも、穏便に済ますことが可能だ。
三は今後の活動を考えなければ、もっとも無難だ。ただしこの時代、すでに誰かに動画を撮られていると考えて間違いない。それがアップされれば、拡散、ヘタレ傭兵として名指しされることになるだろう。
四はもっとも不確定要素が多い。奪って逃げきれれば、金に換金できる可能性はある。少なくとも、この巨漢より足は俺の方が速そうだ。だが、この女の子の能力が未知数だ。アウターの身体能力は、通常の人間に比べて遥かに高い。さらに個人毎に特殊な能力を持っていることがある。この能力は、三つに大別される。肉体能力系、精神能力系、特殊能力系。
そのほとんどが他愛ないものであることが多いし、物語の中に出てくる念動力のような派手なものはそうそう無い。だが、そうそう無いだけで現実には存在する。あまりにも強力な能力を持ったアウターは、その能力を隠して生きている者が大半だ。ばれればドライブレコードにあったような施設に閉じ込められ、一生研究材料にされるのがオチだからだ。
五は考えるまでも無い。三より評判が落ちることは分かりきっている。
というわけで、俺の選択肢は――。
「――幾らなら売る?」
「なんだ? お前が買うっていうのか?」
「嫌だよ! あげないよ!?」
二人の顔を交互に見ながらできるだけ余裕を持った口調を装う。卑屈に見えてもダメだし、あまりに余裕を見せて金額をふっかけられても困る。あくまで分別を備えた大人としての余裕の態度が重要だ。
「ここは一つ穏便に済まそうじゃないか。俺が、あんたが得るはずだった分を支払う。お嬢ちゃんはその本を俺に読ませてくれること。悪くないだろ?」
思いがけない申し出に、喧嘩をしていたはずの二人が顔を見合わせ、頷き合う。
「お前に払えるのか? この本なら 七〇〇〇クレジットってところだぞ?」
「!?」
(嘘だろ!? アーセナルの装備が買えるっていうか、ここのところで俺が稼いだ額のほとんどじゃねーか! ほとんど! すべて! 全財産!)
「お兄さん、そんなにお金ありそうに見えないけど、ちゃんと持ってるの? 無理したら大変だよ?」
(いやいや、待て待て。無理したら大変って、誰のせいでこうなってんだよ!)
「……まあ、俺くらいになればこの程度、いつでもオーダーで稼げる額だからな」
「お兄さん、傭兵なの!?」
「お前、同業か!!」
「まあな。ランクはEだが、連戦連勝中だ。コールサインはセイリオス。よろしく」
すっと右手を差し出す。決まったな……完璧な大人の対応だったはずだが、二人は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「なんだ、ルーキーじゃん」
「クッソみたいなランクだな」
「……」
「ねえねえ、少しまけてあげれば。ルーキーに七〇〇〇クレジットはちょっときついと思うよ?」
「そうだな。オレ様も鬼じゃねぇ。五〇〇〇クレジットで手を打とうじゃねぇか」
「うわ、どケチ」
「l;,xok,e」
「まてまて、分かった。五〇〇〇で手を打つ!」
「お兄さん、太っ腹~」
「ガガガが、グッ、まあいいだろう、さっさと払いやがれ!」
大人の対応をし、誰かがアップした動画で連戦連勝中の俺にオーダー依頼が入りまくるという計画が、完璧にただの駆け出し、いやお人好し野郎になってしまった……。
「フォー、支払いをお願いできるか?」
「あなたの口座から、ガルガンチュア様の口座へ五〇〇〇クレジットの移動を行いました」
「という事だ」
「取引成立だ。オレ様はガルガンチュア様だ。覚えておきな」
「覚えておく」
「おいルーキー、他人のもめごとに口突っ込んでるといつか死ぬぞ。気をつけろよ」
禿頭をかきながら、その場を去る姿を見るに、根はいい奴なんだろうと思う。けれど、五〇〇〇クレジットの恨みは忘れないからな……。
「ありがとう。お兄さん」
「君も傭兵なんだね。しかも俺よりランクは上、だよね?」
「えっと、あたしは”イノセンス”のチル。ランクはC。よろしくね。で、あの大騒ぎしていたおじさんはウエストセブンのおじさんだね」
「イノセンス、ウエストセブン……」
どっちも、有名所っていうかあの巨漢、ウエストセブンなら最初から言えって。マジで死んでたかも知れない……。しかし、この子が噂のイノセンス、別名不死隊とは驚きだ。どんなに困難で生存が絶望的と思われるようなオーダーでも必ず全員で生還し、いつの間にかついたあだ名が不死隊。オーダー達成率はやや低いが、彼らが傭兵登録されて以来、欠員数はゼロ。一人として欠けていない状況は、壁の外でも、特に賭けを行っている奴らからはエキサイティングな対象だ。彼らが死ねば高倍率の配当となるからだ。まったく。
「どお? 有名人に会えた感想は?」
「ま、俺の方がすぐに有名になるけどな」
「頑張れ、頑張れ! ルーキーさんなら、すぐに強くなれるよ!」
「だよな!」
「多分ね」
どうもバカにされている気がしないでも無いが、いつもこの調子なのだろう。
「で、どうするの? この本、読んでみる?」
チルから差し出された本、スターヒーローズだが子供向けであることは一目瞭然だ。
「いや、いい。揉めてたのを何とかしたかっただけだし」
「そっか。まあ、とにかくありがとう。助かっちゃったよ」
「一つ聞いていいかな?」
「彼氏ならいないよ」
「そうじゃなくて……」
なんなんだ、やっぱりバカにされてるか!?
「えへへ、冗談だよ。で、なにかな?」
「チルは、なんで傭兵を?」
HDI上の傭兵検索に出てくる情報では、チルは十五歳。とてもじゃないが自分から傭兵になるようには見えない。
「あ~、それよく聞かれるんだよねぇ。お仕事だからだよ!」
「仕事?」
「そう」
「なんで、この仕事を?」
「なんでって、生まれた時からだから理由なんか無いよ」
「生まれた時から?」
「そうだよ」
どういうことだ?
「あっ、うんとあれだよ。わたしたち、貧乏だったからさ! いけない、もうこんな時間だ。お兄ちゃんたちに怒られるから、わたし帰るね! 今度またゆっくりね! バイバイ、ルーキーさん!」
「え、おい」
困惑する俺を一人残し、チルが人混みに消える。なんだったんだ……。
そういえば、俺はなんでここにいるんだ? 思いがけず、ため息が出る。当初の目的を思い出し、クレジットを確認する。残額は八〇〇クレジット。これでは到底、装備など買えそうには無い。今日はもう帰ろう……。